Nブローカー
ぼくがまだ駆け出しの不動産屋さんだったころ、ある不動産ブローカーがいた。2000年代前半だっただろうか。もう20年以上前の話だから不動産世界の神話の領域だ。これを読んでる皆さんにもそういう神話があったというふうに聞いてほしい……
当時、昭和バブルの爪痕はさすがにはっきりとは見えないが、それでもどこの大手不動産会社もバキバキに財務が傷んだままの状態で、あるいは「土地に投資なんてまだ懲りてないんか!」みたいなムードで、不動産にお金をだせる会社は少なかった。
でも例外があった。大手の商社の不動産部門だ。
みんな知らないと思うけど、今なら錚々たるデベロッパーたちも、当時は商社と普通に共同事業という体裁で分譲マンション事業を行っていた。開発用地を買って、設計事務所とかゼネコンとかに発注して分譲マンションを建てるのが商社の不動産部門。それを着工のタイミングぐらいから売り出すのがデベロッパー。いろんな条件があるけど、典型的なのは竣工と同時に1棟まるまる商社からデベロッパーが分譲マンションを買う、みたいな感じ。商社からみれば開発用地の取得時にプロジェクトの出口(=デベロッパー)が決まってるから分譲リスクなしで利益が確定する、社内の審査部に受けの良いスキームで、デベロッパーからみれば分譲マンションプロジェクトの用地取得から完売までの長い期間の資金負担を避けられる、両者にとって都合のいい事業形態だった(竣工までに完売すれば、デベの資金負担は販売経費ぐらいでしょ)。
え?謎ブローカーいつ出てくるって?もうちょい待ちなはれwww
まぁいうたら、マンションのOEMみたいなんで、野●不動産謹製って書いてても、実は作ったのは商社の不動産部門、みたいなんが結構ありました。
まぁこんな感じで東京の分譲マンションや不動産開発の大きな部分を商社の不動産部門が担ってる時代があって、今は大手デベでもやってる(一部)けど、当時は立ち退きとか地上げとかも潤沢な資金と平成のガバガバなコンプラを背景に商社の得意技でした。
はい。ここで主人公の謎ブローカーがやっと登場する。仮に彼をNと呼ぼう。
平成初期の不動産世界のブローカーは令和世代の若い不動産屋さんたちの想像の及ぶ範囲には存在しない。たぶん、昭和の不動産屋さんたちが平成世代の若い不動産屋さんにおんなじようなこといってたぐらいには。
あのころは本当に意味の分からないブローカーがたくさんいた。いまのぼくならきっと吹き出してしまうような。
会うたびに10万円を貸してくれって無心するブローカー。コネで入った育ちのいい先輩社員は物件情報欲しさに自腹で毎回応じてて、結局一件も仕入れできないまま別の部署に異動になって海外駐在になった。こうして先輩も10万円も帰ってはこなかった。
(このまえ通りがかった駒込にある10万円ブローカーの路面賃貸店は2023年でもまだ元気に営業してたんで先輩に10万円返してあげてほしいです。)
そういえば麻雀の”得意な”ブローカーもいた。
「はい!ロン!中ドラ3!!」
そう叫ぶブローカーに、卓を囲んでた他の3人は喉まで出かけた声を飲み込む。
「お前この前はアトヅケ無しやいうてたやんけ!!!」
毎回ルールを自分の都合のいいように変えるブローカーはいつも最初の場所ギメの時に言ったものだった。
「ルールはいつもどおりで。」
「承知しました!!!」
そう叫ぶしかない、新入社員のぼく。
(”いつも”ってなんじゃい!!!!)
時効の今でも言えないようなレート。
千円札がティシューペーパーぐらいにしか見えなくなるプレッシャーの中でもアコムに駆け込んだことはなかったから、当時のぼくは麻雀強かったんだろう。
いまはもう点数計算も忘れたのに。
思い出せば、キリがないんだけど、Nだ。Nの話をしよう。
当時で50歳ぐらいか。やたら細身で白髪で、ぱっと見は上品で、老舗上場企業の役員ぐらいに見えなくはない。でもあんなにギョロッとしてギラギラした目の上場企業役員はいない。
上司のおともでNの事務所について行ったのが初対面だっただろうか。ペーペーの僕なんかはまったく無視された記憶がある。そうだ。Nは事務所に来た取引先には応接室にあるワインセラーから一人1本ずつ赤ワインを手土産に渡す習慣があった。でも僕の分はなかった。
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みたいなことは、なくて、これからNブローカーの話をしたいんだけど、それは次回にしたいと思います。
(つづく)